昔の選手はエラー数が大変多い選手がいます。その理由は次のことから言えます。
1.当時のグラブ性能は今と比べて目も当てられないほど酷かった
2.グラウンドは石ころやでこぼこが当たり前のように存在し、守りづらい上にイレギュラーし放題だった
・グローブの出現が1875年である。


【当時の投手の現状】
当時投手の対してのかなり不利なルールがいくつかありましたので、書いておきます。
・ボールは下から投げなくてはならなかった。これはアレクサンダー・カートライトが1845年に定めたルールであるのだが、
 1884年まで有効であった。つまり38年間もの間、投手はアンダースローしか許されなかったのである。
・手首を使っての投球が禁じられていた。このルールは1872年に撤廃されたが、投手を非常に苦しめたルールで、このせいで手首を捻挫した投手も多かった。
 またウイリアム・カミング スが最初に投げたカーブはこのルールの影響で、現在のような縦に割れるカーブではなく山なりの変化球だったと考えられている。
・打者が「高め」と投手に要求したら、投手はストライクゾーンの高め半分に、「低め」と投手に要求したら、投手はストライクゾーンの低め半分ボールで見逃しをとらないと
 ストライクを得られなかった。個人的には、今回イチオシのトンデモルールである。ちなみにこの頃はファールをストライクと数えるルールがまだなかった。
 この「高め・低めルール」は1871年から1887年まで続いた。
・1890年代中ごろまで各チームのエースクラスの投手はチームの年間全イニングの3分の一から半分程度を投げていた。現在のように一試合に投手が10人以上もベンチ入りするよう な時代ではなかったのである。ローテーションという概念がなかったわけではないがそれは2人ないし3人程度で持ち回りするものだったのだ。
 さらに投手の役割分担制は1950年代までなかった。19世紀には生涯に先発した試合の8割を完投した投手すらいたのである。
・19世紀までさかのぼると、投げられていた球種といえばせいぜいカーブとチェンジアップくらいのものである。
・1884年に投手の投球フォームに関するルールが変更。従来はボールを腰から下の高さで放さなかったのだが、肩の高さまでリリースしてもよい範囲が拡大。
 これによりサイドスロー やオーバースローが可能に。
・当時は4ボールでなく、9ボールであった。
・当時の投手、捕手間は15.2メートルだった。
・1890年代前半まで、ピッチャーズボックスというものがあり、投手はその中で投げなくてはならなかった。そのボックスの中であれば、何歩助走をして投げてもよかった。


<当時の打撃の現状>
・19世紀の30年間で本塁打王の最低の本数は4、最大は27であった。
・19世紀においてはホームランの大半が(現在で言うところの)ランニングホームランであった。
 また、20世紀には入っても10年代までは年間本塁打の3分の1程度がランニングホームランである。
・以前は現在とは違うボールが使われていた。現在使われているボールよりも飛ばないボールだ。1870年代頃までは力いっぱい投げても65メートルくらいしか飛ばないボールが使われていたし、その後も1920年頃までは芯にゴムを巻いていない、いわゆるデッドボールが使われていた。
・当時はスピット・ボール(簡単に説明すると140q/hで曲がるナックルのようなボール)の投球が認められていたが、1920年に禁止された。
・1912年まではこの三冠を構成する打撃カテゴリーは首位打者・最多安打・得点だった

投手の球速について
昔の投手は下手から投げなくてはなりませんでしたが、ピッチャーズボックスの中であれば、何歩助走しても良かったというルールがありました。
いわゆる、現在でいう、ソフトボールのような感じです。ソフトボールは、実際の速度は、95〜100q前後ですが、これを
体感速度に直すと、なんと150qくらいになるといわれています。ですから、僕が思うに、いかに19世紀とは言っても本場MLBの投手達ですから、
100から速い投手は125〜130q/h出ていた投手もいたかも知れません。これを体感速度に直すと、150〜165q/hくらいになります。当時の投手は速球一本槍で50勝以上する投手もいたので、このくらい、甘く査定していただけないでしょうか。今度から、
投手の球速は、実際の球速ではなく、体感速度で現すということでお願いします。



以上です。長くなりましたが、今後の査定にいかしてください。

Written by ちくわかまぼこ